問題行動の裏にある子どもの気持ち

先日、ある空港でホテルの送迎バスを待っているとき、同じバスを待っていた幼稚園児くらい年の男の子が待ち合いスペースで走り回っていました。
その子のお母さんは周囲の人を気遣い「やめなさい!お座りしていてちょうだい」と言うけれど、子どもはやめる気配がありません。

こういう時、親は「言うことをきかない悪い子で困る」と決めつけたり、
周囲の大人も「しつけがなってない」といらだったりしがちです。

でも、ちょっと視点を変えて子どもの身になってみましょう。
疲れている移動中、いつ来るともしれないバスを待つ時間は、大人でもたいくつなもの。
少しの時間でもスマホいじりや本を読んだりしたくなります。
ましてや活動的で好奇心旺盛な子どもが、誰にも相手にしてもらえずじっと座って待つのは、拷問に近いことなのです。

隣にいた私は、その子の顔を見て「たいくつなんだよね」と声をかけました。
すると、その子は満面の笑みを浮かべ、「たいくつ、たいくつ!」と叫び、走ることをやめて他の遊びにうつりました。

幼い子どもは、自分の気持ちがよくわからないだけでなく、言語能力が育っていないので自分の感じていることを適切に言葉にして伝えることができないのです。
ただ、もやもや感やイライラが体で起こりおさまりがつかなくなってしまいます。
その結果、走ったり、暴れたりといった行動で自分の不快感を解消しようとしたり、周囲に伝えようとしたりします。

子どもが人や車に石を投げた場合を考えてみましょう。
人や物に危害を与える可能性があれば、すぐにその行為をやめさせなければなりませんが、子どもが石を投げた裏には必ず未消化な気持ちがあります。
だから、しかってやめさせても、その直後になぜ子どもがそんな行動を取らざるを得なかったのかをわかってあげる必要があります。

子どもが石を投げる前に何があったのでしょうか?
行動をだけを止めようとしたり、しかりつけたり、脅かしたり、その行動がいかにいけないことかを説明するだけでは、行動を引き起こす原因となった気持ちの行き場がなくなってしまいます。
ただ一方的に「人の気持ちも考えなさい」と叱られた子どもにしてみれば、「私(ぼく)の気持ちは誰が考えてくれているの?誰がわかってくれるの?」と叫び返したい思いでいるのではないでしょうか。

まず、大人が行動の裏にある気持ちをわかってあげて、その気持ちを共感的に受け止めることをすると、子どもの気持ちはおさまってきます。

自分の気持ちを十分にわかってもらった子どもは自分の気持ちに余裕ができるので、
大人からの注意や説明を聞くことができるようになります。
その上で、なぜその行動が問題なのか、その行動によりどんな危険なことが起こる可能性があるのか、さらに周りの人はそんなことをされたらどんな気持ちがするかを一緒に考えるようにしましょう。
自分のことをわかってもらった体験が十分にあれば、子どもにも人の気持ちが理解できます。
そして、「相手が不快になるのは自分も不快だからやめよう」と人を思いやるやさしい気持ちを持てるようになるのです。