うちの子はなぜ勉強しないのか

親は子どものことを誰よりもわかっている、と思い込みがちですが、意外なギャップがあるものです。

ある方が小学生のとき、学校でいじめに遭っていました。
学校に行くのがこわかったそうです。
それをお母さんに言っても、お母さんは「そんなこと言わずに学校に行け」というばかり。子どもが「いやだ、学校に行けない」と訴えると、「じゃあ、お母さんが校門までいっしょに行ってあげる」という。
本人にとって、“鬼”は校門のなかにいるのであって、お母さんに外まで来てもらっても、なんの役にもたちません。とんちんかんな援助です。

親からは有効な援助は得られないと知ると、この子は自分で自分をどう助けたらいいかと考え始めます。自分の中でこもって作戦を練り始めます。ああでもない、こうでもないと、考えが頭をぐるぐる巡っています。「こう来たらこうしよう」「ああ来たらああしよう」と、ずっとシュミレーションして、考え続けているのです。この状態で学校にいても、勉強できると思いますか?

頭のなかはどうやって外の世界から自分を守って対応するのかでいっぱいで、そうすることで自分を「これだけ方法を検討したから大丈夫だ」と言い聞かせている。この子は、その状態で毎日を過ごしていました。これでは、学ぶのに必要な大脳皮質が機能できる状態ではありません。だからこの子は小学校時代、何にも勉強できなかったのです。

親から無条件に与えられる心の安全基地がない子どもは、自分の殻に閉じこもり、まがい物の安全基地を作ってそれに固守しがちです。しかし、それは簡単に壊れる、もろいものなのです。
この例のように子どもが勉強に集中できない場合、ものを学ぶ以前の問題が起こっていることがあります。お子さんが勉強しない、何か不安がっている場合、しばしば親御さんはどういうことで勉強ができないのか、何が不安なのかなど子どもの話を聞かずに勝手に推測して、勝手に解釈し、勝手に答えを出しがちです。そして親が子どもを助けてやりたいと思っているのにもかかわらず、まったくとんちんかんなことをしてしまうのです。

こうなると、親御さんの方は、親なりに子どもを心配して「校門まで一緒に行ってあげると言ったのに、それを拒否したのは子どもの方ではないか」という思いが残ります。
一方、当の子どもには「親にわかってもらえなかった」という思いが残り、「お母さんは自分のことなんてどうでもいいんだ」という結論を出し、自分の存在感を見出せなくなってしまうという悲劇が起こるのです。

(田中万里子「子どもの心育てワークショップ」より)