「礼儀」と「暴力」

昨今の横綱の暴力事件、
その会見で語られた暴力の理由が、
礼儀礼節を教えようとして行き過ぎた、とのこと。
わけがわからなくなるほど激昂して暴力をふるってしまう、
いったい何が起こったのでしょうか?

この事件を機に、礼儀と激昂をつなぐものとは何なのか、考えてみたいと思います。

私たちは幼少期に、
「あんなことをして恥ずかしい、礼儀正しくすべきよ」
など大人がよその人を批判するのを聴かされてきたかと思います。
また、
「そんなことをするのはうちの子ではない、出て行きなさい!」
「あなたが失礼なことをすると、世間に、
あの親なっていないと思われるから恥ずかしいでしょ、ちゃんとしてね」
などと、叱られたり、辱められたり、命令されたり、脅かされたり、
あるいは体罰や恐い思いをさせられたりして、
マナーを学んだ人が多いのではないでしょうか。

こうなると“礼儀”は恐怖や恥とセットになって記憶され、
人はその恐怖と恥を避けるために他人の目を気にして、
形だけは礼儀正しくということを必死になって行うようになります。

恐怖や恥で礼儀を教えられた人は、
「失礼があったらたいへんだ」
「礼儀がなっていないと陰で悪く言われる」
「礼儀も知らないダメな人間だと思われてしまう」
と、何をするにも緊張が伴います。

礼儀礼節というのは本来、相手への思いやりや相手を尊重する気持ちを表すことなのに、
ちゃんとしないと、ダメな人間だと思われるのではないか、
自分が恥をかくのではないか、
他人から認めてもらえなくなるのではないか、
というように、「自分がどう見られるか」にばかり焦点があたりがちです。
そして形だけは礼儀正しくしているつもりでも
自分の不安に焦点があたっているので
ピントがずれてしまっている
ことがしばしばです。

問題はそれだけでなく、
他人が礼儀をわきまえない言動をしているのを見ると、
過剰な不快感情が起こり、
反射的に批判や裁きとなって相手を攻撃したくなります。
これが礼儀と激昂をつなぐものです。

そもそも、礼儀礼節とは人間関係を良くし、
社会の秩序を維持するために、
人が経験に基づいて作った守るべき行動様式、
特に相手に敬意を表する作法です。
これは“決まり”ではないのですが、
人と接するときに守るのが‟好ましい”ものなのです。
それなのに‟当然守るべき”となったとたんに
本来の意図の“思いやりとやさしさ”のある
よい人間関係や社会秩序づくりが見失われて、
暴力にまで発展してしまうことがあるのは、
なんと皮肉なことでしょう。

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