目次

第1回 ソーシャルワーカーとしての日々

第2回 仙台で初めての講座を開く

第3回 大学教授になる

 

第3回 大学教授になる

田中

 

 

「これは両刃の剣ですよ」

これまでの2回、田中先生のお話を伺っていると、博士課程への進学がとても大きい契機になったように思います。
 
 
田中
そう思いますね。当時は友人たちに「マリコ、将来性が何もないのに、時間もお金もかけてなぜPh.D.をとるために大学院に行くなんてバカなことをするんだ?どのみちソーシャルワーカーを続けるのなら、2つ修士をもっている今のままでもいいじゃないか」とさんざん言われたものです。でも、私にはどうしてももっと勉強したいという気持ちがありました。いまかかわっている家族や子どもに起こっていることについてもっと勉強して、いい仕事をしたいという思いがあったから。それで「何につながってもつながらなくても私はやりたいの」と言って博士課程に行ったわけです。
 
 
ソーシャルワーカーとして働きながら博士課程を修了したあと、田中先生は1984年にサンフランシスコ州立大学のカウンセリング学科に教授として赴任されました。「将来性が何もない」どころか、Ph.D.をとられたからこその将来があったわけですね。現場のソーシャルワーカーから大学で教鞭をとる立場に転身されたきっかけはどのようなことだったのですか。
 
 
田中
1983年にPh.D.修了数カ月前に勤務先の局長から、日本から来る講師が行うカンファレンスのレクチャーを私に通訳するようにと、カリフォルニア大学病院に派遣されました。カンファレンス後の食事中、演者の一人で、幼児~初等教育の研究者であるサンフランシスコ州立大学の教授のバイオレット・ロビンソン博士に「あなたは今何をやっているの?」と訊かれました。「私は博士課程の学生で、家庭内暴力についての日米比較研究をしている。そのために日本の施設に行って子どもたちと直接会って心理テストや面接を行い、さらに米国の類似した問題を抱えた子どもたちのテストや面接を行いそれらのデータと比較している。まもなく論文を書き終わるところです」とお話ししました。ロビンソン博士は「論文を読んでみたいから、書き終わったら私にコピーを送って」とおっしゃり名刺をいただきました。論文を提出したあとにコピーをお送りすると、1カ月ほど後に電話がかかってきて「あなたの論文をとても面白く読ませてもらった。あなたのような人は大学で教えるべきよ。大学で教えることに興味はありますか?」と尋ねられました。「私には学校で教えた経験もないし、教えられるかどうかわかりません。でも試させてくれるなら興味はあります」とお答えしました。すると、彼女がサンフランシスコ州立大学のカウンセリング学科長に紹介してくださったのです。数日後に「彼が会いたいって言ってるから、電話して」と言われてとてもびっくりしました。アメリカの大学教員への就職はものすごく狭き門で、そんなふうにとんとん拍子に行くことなんてほとんどありません。
 
 
先生の論文が評価されたのでしょうね。
 
 
田中
さあ…(笑)。私はロビンソン博士に「論文を送って」と言われたから送っただけで、彼女がどう思って紹介してくれたのかもわかりませんでした。大学に面接に行くと、私には大学で教えた経験がないので、まずは夜間の授業からもってみないかと打診されました。どのみち私は夜遅くまで仕事をするのには慣れていたのでお引き受けしてみようと思い、4カ月間、週に1回大学教えることになりました。学科長には「これは両刃の剣ですよ。あなたが学生からよい評価をもらえば今後の本採用につながるかもしれない。しかし、もし評価が低ければそれで終わりです」と言われて始めたのです。
 
 
ああ、アメリカではそんなに早くから評価社会だったのですね。
 
 
田中
 
 
 

理論だけではやっていけない

 
 
田中
後でわかったことだけど、大学は現場がわかっている人間を求めていたのです。アカデミアの象牙の塔に入ってしまうと全く現場が見えなくなります。特にカウンセリング学科は、インターンシップとして学生を市中の施設に送り込んでいるわけですが、そこで出会うのは難しいケースばかり。彼らが現場で抱えてくる問題を教授たちがだれも学生の納得がいくように指導できなかったのです。「難しいケースだね」と言ってはくれるけど、どうしていいかわからない。教員はみな一流大学で学び、研究もしっかりして理論的な武装はしています。でも、福祉やメンタルヘルスの現場なんて理論だけでやっていけるものではありません。現場についての質問を受けると学問だけでやってきた人は身動きがとれなかったのです。
 一方、ソーシャルワーカーだった私は解決できる、できないにかかわらず毎日問題に携わっている人間だから、難しいケースにかかわっても怯えることはありませんでした。毎日の現場を「なんとかなるさ」という気持ちで臨んでいた、実践を積んできた強みだったと思います。また、家族療法の修士課程で学んだときに、自分が丸抱えにして責任をとるのではなくて、相手の中にある力をどのように使うかを徹底的に教えられてきたから、相手のことを親身に考え、操作的にならないように話をすることにも慣れていました。だから学生が出してくる難しいケースにも動じることなく、「こういうふうに見たらどうか、ああしてみたら、こういうことに注意した方がいいよ」と、私にとっては比較的簡単に必要な対処法を教えたり、アドバイスをしてあげたりすることができました。指導を受けた学生が現場でやってみるとその通りになって、感動したのだそうです。
 
 
3カ月後、学生さんの評価は?訊くまでもなさそうですが・・・
 
 
田中
学科長には「次の学期も教えてください」と言われました。さらに大学のトップからは「来年度のカウンセリング学科教授のポジションが空いているので公募することになった。あなたにも応募する資格があるよ」と声をかけていただきました。私は三流の大学院、それも授業を夜に受けることが多かった博士課程の卒業生でしたから普通ならとても考慮に当たらなかったと思います。しかし、120人が応募した公募の結果、最終的には学生の高い評価の結果、教授のポジションをいただくことができました。ただ、アメリカの大学の場合、採用されてから3~4年の間に大学の内外での業績を積み、学科のベテランの教員たちの合議制で推薦されることにより学長が本採用とするので、狭き門をくぐったあと一人前の教授になるのにはそれから数年かかりました。

(次回に続きます)