想定外のつらい出来事に遭った人に

阪神淡路大震災から21年が、東日本大震災から5年が経とうとしています。何年経ってもあの日の出来事がまるで昨日のことのように思い出され、あの日から時が止まったようでまだその現実を受け入れられない方もたくさんおられるのではないかと思います。

人は、想定していないこと、予想していないこと、受け入れがたい現実を目の前にすると、あまりのショックにまるで何もなかったかのようにふるまってみたり、「なぜ!?どうして!?」と納得いく理由を探してみたり、「あの時、ああしていればこんなことにはならなかったのでは」と考えは堂々めぐりを繰り返します。合理的な答えを求めているわけでもなく、たとえ理由がわかったとしても、気持ちがおさまるものでもありません。ただただ大切な人がそこにいない、永遠に続くように感じていた日常が今はないという現実を、信じられない、受け入れられない、 受け入れたくない、というのが本心でしょう。そして、時が止まったように感じたり、自分の中が空っぽになったように感じたりします。

そんなとき、周りの人は、その人の辛さや苦しむ姿を見かねて、慰めたり、励ましたり、気持ちを切り替えさせようとしがちです。

しかし、そうされると、本人は自分の気持ちをわかってもらえないと感じたり、「前向きになれない、現実を受け入れられない自分は情けない、だめだ」と自分を責めてさらに苦しむことになります。

東日本大震災の後、私たちは被災地に赴き、たくさんの被災者支援に当たっている方達とお会いしました。その時、「こんなにつらい体験をした人にかける言葉がみつからない」「家族を奪われた人を傷つけてしまうのではないかと思うと、こわくて何も言えなくなる」という声をたくさんお聴きしました。

想定外のことが起こったときに気持ちはそう簡単に切り替えられるものではありません。「現実を受け入れられない」という気持ちは、大切なものや人を突然失う恐怖や不安から自分を守るために起こる自然な感情です。それがあるからこそ私達は危機に直面したときに、自分を何とか保って生きていけるのだと思います。

周りの人は、「現実を受け入れられない」という気持ちを理解して、その気持にただただ寄り添ってあげてください。無条件に受け入れられてこそはじめて、当事者は自分を責めることなく、「前向きになれない自分も受け入れてもらえる」という安全感を持つことができます。そして安全感が生まれると、自分はこれからどうしたいのか、次のステップに向けて考えられるようになります。

もし、周りに適切に寄り添ってくれる人がいなければ、自分自身に対して「この現実を受け入れられないんだね」と何度か語りかけてみてください。現実を受け入れられない気持ちをそのまま受け入れてみると、次第にあなたの心は落ち着き、はじめて次のステップへ進めるようになるのです。