目次

第1回 ソーシャルワーカーとしての日々

第2回 仙台で初めての講座を開く

第3回 大学教授になる

第4回 心と身体の関係

第5回 学ぶことは、体験すること

第6回 私たちの仕事にリタイアはない

 

第2回 仙台で初めての講座を開く

田中先生

 

 

偶然のきっかけで仙台へ

1980年頃、先生は初めて日本で面接療法を教えておられますが、それはどのようなきっかけだったのですか。
 
 
田中
日本のある福祉財団が、全国の福祉施設の施設長さんを連れて米国に視察に来られ、私は局長命令で通訳をすることになったのです。
その中に仙台からいらしたお客様がいらっしゃったのがご縁です。局長が「このお客様たちを自分の家に招いてホームパーティーをしたいから、お前も来て翻訳しろ」と言われたので行きました。普段、局長の家に行くなんて、ありえないことなのですけど(笑)。
行ってみると、局長のお家には仙台箪笥がたくさんありました。その時はじめて知ったのですが、実は奥様が仙台の川内キャンプで幼少期を過ごされ、当時お世話になっていた日本人のメイドさんに会いたいと熱望されていたのです。それをきっかけに仙台の方々の協力を得て、その年の夏に日本で再会することができました。再会の際は、私も他の仕事を兼ねて日本に同行するように言われました。その時お世話になった故・大坂誠先生に「ぜひ私の施設に来て米国での話をしてください」と呼んでいただいたのが、日本での初めての講演になりました。
 
 
今から40年近く前の福祉施設でどんな話をなさったのですか?
 
 
田中
いま米国でどのようにケースを見ているかという話ですね。ちょうどその頃私は大学院の心理博士課程にいたので、ロールシャッハテストを使って子どもたちの心理的傾向をみる話をしました。「何か刺激が入ってきたときに興奮しやすい子はこのように扱ったほうがよい」とか、「こういう子どもは理が勝ちすぎて、感情が使えてない」といった判定の仕方の話。その時に、「そういうことがわかるためには子どもとちゃんと面接ができないとだめです」という話をしたところ、「では、定期的に教えに来てください」という話になりました。
 
 
 

「一方通行の面接」に衝撃を受けて

そのころの日本では、どういう問題があったのですか。
 
 
田中
施設に措置された子供たちは親が不在な子が多かったです。また不登校、勉強しない、職員のいうことを聞かない。あるいは万引きなどの犯罪など、非行に走った子どもの扱いが主なものでした。しかし、その当時の日本の心理学はアメリカに30年くらい遅れていると言われていました。まだ虐待など、まったく考えられもしなかった問題でした。局長が日本の方々に「これからは日本でも虐待という問題で苦しむようになるから、準備をしておいたほうがいい」とお話しされていましたがピンとこないという印象でした。

大坂先生に「定期的に日本にきて教えてください」と依頼されたときに、「基礎がない人に新しいことを教えても、土台のない所に家が建たないのと同じで、ムダになります。面接の基礎を先にお教えしたほうがよいのでは」と言いました。
 
 
面接のスキルも、当時の日本にはなかったのですか。
 
 
田中
(行われてはいたけれど)いわゆる、「一方通行の面接」。こうしろ、ああしろ、わかったね、だめじゃないか。まるで「説教」ですね。だからうまくいっていなかったのです。

施設見学をさせていただくと、とにかく外見的なことを気にしておられることが多かったです。「ちゃんと掃除をする子だ」とか、「施設の規律を守る子だ」とか、「宿題をする子だ」「学校にちゃんと行く子だ」とか。不登校の子でもむりやり学校に行かせる。本人は高校進学したくないのに、職員が追い立てて受験勉強させるとか。そういった一方通行のコミュニケーションが圧倒的に多かったのです。これでは援助にならない。対話になっていない。それで、仙台、東京、静岡、大阪、九州で講座を開いて面接療法を教え始めました。
 
 
 
 
 

結果が出ればバーンアウトを減らせる

 
 
田中
日本での講座では、できるだけ最新の技法をお教えしたいと思いました。当時、体と心は関係があるというMIND&BODY関係の理論はアメリカの心理学でもまだ新しかったのです。心理的に弱れば体にも出てくるし、その逆もある。感情は体で起こり、抑え込めば病気になるという発想です。私は主人と二人で実践していたので、それも日本でお教えしました。
いまは、アメリカでもMIND&BODY関係のセラピーはごく当たり前のものになりました。かつての私の教え子は「MIND&BODYのワークショップには参加する必要がない。だって、30年前に(田中)先生が教えてくれたから」って(笑)。

私は新しい手法や考え方の中で結果が出たことだけを教えるということを続けてきました。私たちが臨床的に実践してみて、理論を構築して皆さんにお教えするということをやってきました。それを勉強していただくと、(援助職の)バーンアウトが減るのです。
 
 
それはどうしてですか?
 
 
田中
だって、結果が出ないことを毎日やってみてごらんなさい。憂うつになるでしょう。自己効力感ゼロでしょう。それでは仕事をする気力が落ちます。結果が出せるアプローチを学ぶことがいかに大事かをその頃から感じていました。「求めれば何かがある」という状況があることが大事なんですね。 ただ、自己効力感が持てるようなスキルをただ一方的に提供されても、勉強しようと思わない人はしません。その人がどれだけのモチベーションを持っているかにかかっています。私とともに修士をとるために大学院に進んだ27人のなかでも、Ph.D課程に進んだのは、4人。Ph.Dを実際に取得したのは2名でした。「この子どもたちを放っておくわけにはいかない、何とかならないかしら」という問題意識が、私たち2人のモチベーションを上げたのだと思います。

(第3回は11月公開予定です)